カテゴリ:膵臓がん( 253 )

希望を持つ


ブログを始めたのは、ナノナイフ適応が決まったとき。
希望しかありませんでした。
ナノナイフの情報があまりに少なかった為に、私が情報を発信したいと思って、夫にこのブログを立ち上げてもらいました。
前向きなブログ、期待できる治療法、、、、でも一番気になるのは最後のページ。
私は、手術できないステージⅣでも、死でブログを閉じたくなかった。
治してみせる!少しでも永くブログを書いてみせる!って、ブログを始めたのだった。

後悔。
後悔していると以前ブログに書きました。
それは、今、母が死んでしまった結果論。。。

でも、この4年間、希望があった事に間違いはない・・・。

思うんです。
医者や治療を信じるとか信じないとか、そういう事ではないのです。
癌患者や癌患者の家族が信じて良いのは、自分自身だけです。
自分自身がどう思うか、どう選択するか、だと思うのです。

テレビや週刊誌で、高濃度ビタミンC注や樹状細胞など、様々な標準外治療がよくたたかれます。
癌が消える、って書いてあるのに!癌を治せる、って医者が言ったのに!って。

病院も治療法も選択するのは、結局自分自身でしかありません。
胡散臭くても信じたのは自分ですから、自分の選択に責任を持つべきだと思うのです。

母は、よく話していました。
ナノナイフで期待する結果は得られなかった。
でも、ナノナイフには希望があった。
あの時、M安先生と出会えて、希望を持てただけでも後悔はしていない。

憎い病院、憎たらしい医師達の事を話したらキリがありません。
でも、結局、それを選んだのは私ですから。
それを選んだ自分自身を責める事しかできないのです。

私は、4年前の今頃、今の自分が私だったら、また違った人生があったのかもしれないと思うのです。
ブログ村で得られる知識、感情、様々な方々との出会い。
私は、コメント欄は、とても良い場所だと思います。
生の声を聞き、それを信じるも信じないも、御自分で考える事です。
結局、ブログだって素性は分からないわけで、私が書いているナノナイフだって嘘かもしれないわけで。。。


私の母は、暗い待合室を明るい場所に変えました。
みんな話したいのです。情報共有したいのです。分かち合いたいのです。励ましあいたいのです。
母の告別式、母の癌友さん達が遠方からたくさん出席して下さいました。
ものすごく号泣して下さる方がいらっしゃいました。
母は、この方々に元気を頂き、そして元気を与えていたのです。
出会って短い時間でもすごく濃い仲間だったのです。

約4年間、希望がありました。
常に、母と手をつないで歩いていました。
時には引っ張り、時には引っ張られながら。

母は死んでしまいました。
でも、最後まで希望を捨てませんでした。
主治医に従い、抗がん剤治療のみを受けていたら、この希望に出会う事はありませんでした。
標準外治療にお金をかけて、最終的に約4年間で命は途絶えましたが、常に希望を持って先を見て生きられただけでも、標準外治療を否定することは出来ないのでないかと思うのです。


私の母は、3年10ヶ月、元気に生きました。
母の目標は、かっちゃんさんでした。
Y乙女病院で、看護師さんに「かっちゃん、って来てる?」と聞いた程です。
看護師さんもご存じでしたよ、かっちゃんさんの事。


希望を持つ、って大事な事だと思います。
明日があるというだけでも、実はすごい事なんだと思います。


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by roll1822 | 2017-12-02 00:44 | 膵臓がん

母の膵臓癌発覚から、4年経過。


コメント欄を開放したがために、御迷惑をかけてしまいました。
かっちゃんさん含め皆様、申し訳ありません。


お久しぶりです。
久しぶり過ぎて、ブログの投稿の仕方を忘れてしまい、夫に教えてもらいました・・・。

母の膵臓癌が発覚し、まる4年が経過しました。
母が他界し、3か月が経過。

涙は出なくなりました。
でも、いつも母の事を考えます。
話したい事がたくさんたまってしまいました。
母の代わりは誰も居ないのです。

今、長男が受験生です。
中学受験です。
受験まで、あと1ヶ月、一緒に勉強しています!

昨日、長男と二人で塾のテキストを解いている時、長男に言われたのです。
「ママの手、ばあちゃんに似てるね。」って。

初めて言われたな・・・。

そして、考えたこと。
長男は、ばあちゃんの手を覚えていたんだ・・・。

そういえば、塾でたくさん作文を書くのですが、先日のお題→「尊敬する人物」。
長男は、なんと ”祖母” と書いていたのです。
祖母は、末期の膵臓癌で手術が出来なかった。
目の前には死が待っていて、でも、それなのにいつも笑顔で、僕にサッカー頑張れ!受験頑張れ!って応援してくれた。いつも明るく周りに元気や勇気を与えてくれた。中学に合格したって、祖母に伝えたかったな・・・と。
「俺さ~、面接で尊敬する人は?って聞かれたら、泣いちゃうかもしれないよ。」って言ってた。

夫も時々、母の話をします。
Y乙女の病院に、母を毎週連れて行ってくれた夫、
このテレビ、車の中でばあちゃんとよく見たよ、とか、やっと国道の工事が終わったって伝えたいな、とか。
約3年間、毎週仙台に通ってくれましたから。

次男は、将来の夢が、”パティシエ” から ”お薬屋さん” に変わりました。
癌のお薬を作るのだそうです。
ばあちゃんが死んで、みんなすごく泣いた。だから、僕が癌のお薬を作ってみんなを笑顔にするんだ!って。
(それは、お薬屋さんではないんですけどね・・・。)

父は、、、
相変わらず元気はありません。
すっかりおとなしくなってしまって、小さく小さくなってしまいました。
威勢はゼロです。
「なんか困った事ない?欲しい物とかない?」と電話すると、
「何もない。お母さんが居ないのがだけが困ってる・・・。」

でも、焼肉に誘われて、兄夫婦とみんなでお肉を御馳走になりました。
夕飯は、隣に住んでいる兄夫婦が一緒に食べてくれています。
義姉に感謝です。


母の部屋が片付きません。
私一人で、毎週日曜、ちょっとずつ片付けています。


雪が降っています。
母が亡くなった日は暑かったのに。。。


実家のカレンダーが、6月で止まっていました。
あぁ。この頃から母は辛かったんだろうな、と感じました。
6月に仙台の土屋鞄で次男のランドセルを買ってもらいました。
あれが、最後のお出掛けでした。
7月頃から、母は最期を覚悟し始めました。
ボロボロの母の体は、母の気力で支えられていたのではないかと思います。
母が諦める同時に、みるみる崩れ始めて、苦しくなった時は「どれ、死ぬか・・・」という感じ。
本当に母らしい。。。


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by roll1822 | 2017-12-02 00:28 | 膵臓がん

コメント欄は、ご自由にお使い下さい!


かっちゃん先生 とお話したい方がたくさん居ます。

私のコメント欄をご自由にお使い頂いて全く問題ありません。


かっちゃん先生 は、みんなの希望です。

私の母も、最期まで「かっちゃんは、何してる?」と言っていましたよ。



ブログで出会えた方々、皆様に感謝致します。




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by roll1822 | 2017-10-01 20:12 | 膵臓がん

懺悔。お母さんごめんね。


暫くブログが書けませんでした。
コメントの返信も出来ずに、皆様、申し訳ありません。


何を書いたら良いのか分からなかったのです。
何も書けなかったのです。


本日、四十九日と納骨が終わりました。
いよいよ、母の形は無くなりました。


お経を聞きながら、ずっと考えていたこと。


やっぱり・・・
後悔しかないのです。
虚しくて仕方ないのです。

母の最期、母は私に何も言ってくれませんでした。
「寂しくなるから、ずっと側に居て欲しい」としか。

母が他界した後、母の知り合いの方々からよく言われるんです。
「いつもrollちゃんが色々やってくれる、ってお母さんが喜んでたよ。」
「お母さんは、rollちゃんに感謝してるよ。」と。


そうかなぁ・・・
違うんじゃないかなぁ・・・と、ずっと考えていました。

私は、母に嘘をついたのです。
「治るから!治すから!!」と、4年間ずっと言い続けました。

そして、最後の一週間、私は母に命が短い事を伝えないまま、さっさと諦めたのです。
何も出来ないから、諦めるしかなかったのです。
勝手だな、と思います。


治せなかったな・・・膵臓がん・・・。


どうしてもどうしても後悔です。


・・・クヨクヨした事しか書けない事を分かっていたので、大好きなブログが書けませんでした。


そして、後悔の中に、ホッとしている自分もいるのです。
4年間、ずっと何かを諦めて母の事を優先してきました。
仕事と育児の両立の中、私は常に母を優先してきました。
そして、母にキツイ事もたくさん言いました。
今は、母の通院や次の治療を考えなくて良い。毎週土日も自由になりました。
楽になったのです。


母は、私が苛立っていることを知っていたのだと思います。
諦めていることも気付いていたのだと思います。


母に会って謝りたいです。
お母さん、ごめんね。と言いたいです。


四十九日と納骨が終わっても、私は、まだまだ前に進めません。
「お母さん」と、呼びたいです。

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by roll1822 | 2017-10-01 20:05 | 膵臓がん

母が膵臓がんになった理由


母のお通夜で知ったこと・・・

母の従姉三人が膵臓がんで亡くなっていました。
みんな60代。
みんな母方の従姉だそうです。

母のお姉さんから聞きました。
愕然としました。
三人も・・・。


悪い遺伝子だったんだな・・・と思いました。


もちろん遺伝だけが癌の原因ではありません。
リスクが高かったのです。
高いという事を、もっと真剣に考えるべきでした。
食生活や生活習慣、飲酒、ストレスなど、他人よりも気を付けなければならなかったのでしょうね。


母は、40代に乳がん、50代に甲状腺がんを患っていましたので、検査はとてもマメに受けていました。
検査にはお金をかけていました。
だからとても安心していたのです。

でも、60代で膵臓がんが見つかった時には、既にステージⅣa。
5月の検査結果では何事もなかったのに、10月の検査でつまづいたのです。


今更言っても、何にもなりませんけどね・・・。
後悔にもなりません・・・。



私が思うこと・・・
私もその遺伝子を受け継いでいるんだな、と。


相変わらず、父の元気が無くて困っています。
未だに泣いてばかりいます。
まだ、母の携帯電話に父の着信があります。
私にも兄にも自分達の生活がありますが、父には母との生活しかありませんでしたからね。
・・・困っています。



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by roll1822 | 2017-09-13 22:22 | 膵臓がん

父の不思議な行動


母の携帯電話は、私が持っています。
母の友達から電話が来たら、私がお話したいと思ったから。

9月2日、着信がありました。
父から。

よく見ると、8月27日、母の葬儀の次の日にも父から着信が。

不思議な事に、両方とも9時33分。


父は、誰かと間違っているのかな?
でも、電話する相手も居ないし。

出れば良いな・・・とでも思っているのかな・・・。

何となく、父には聞けない。

今日、二七日のお参りが終わりました。
早くも二週間が経過しました。
バタバタの二週間でした。
まだ事務手続きやら四十九日の準備やらで、忙しい日々が続いています。

さっきまで実家に居ましたが、ようやく父に元気が出て来たような気がします。

「俺は、この先、ずっと一人なんだべが?」と聞かれました。

「何言ってんだ?当たり前だべ!」とroll。

「それが、受け入れられないんだずなぁ。。。良い相棒だったんだよぉ。。。」と父。

話してくれるだけ、少し前を見れるようになったのかもしれませんね。

でも、受け入れられないもんですよ。
私だって。


ただ・・・不思議なんですけど、
今日の母の写真、初めて笑っているような気がしました。
兄に言ったら、
「俺もそう思ってた。」って。

ちょっとずつ、みんなが前に進もうとしているのかもしれません。



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by roll1822 | 2017-09-05 23:23 | 膵臓がん

大嫌いな主治医だったけど


地元の主治医が大嫌い。
今もそれは変わりません。

それでも母は、最後の一週間、主治医に助けを求めました。
正確には、主治医の居る病院に。。。

8月14日に病院に駆けつけたわけですが、主治医は一週間の休暇中。
主治医の代わりに担当医として最期まで面倒診てくださったのが、I先生。

とても良い先生でした。
20代です、多分。

私が思う「ダメな医者」とは、キツイ事、厳しい事をズバズバ言う嫌なヤツの事ではなくて・・・
現在の病状もこれからの治療も何の説明もしない口数の少ないヤツ。
患者のお腹を触った事のない、患者の目を見て喋らないヤツ。
そして、ガイドライン、ガイドラインと自分を守る治療しか提案出来ないヤツ。
患者の気持ちは全く考えてくれないのは当然、患者の質問すら受けつけないヤツ。

I先生は、私と母の双方の気持ちを考えて下さる先生でした。
その結果、母には、最期の病状は伝えませんでした。
肝臓に転移、腹膜播種、原因不明の出血。
これまで関わった医師達は、全て母の前で正直に病状を伝えて来ました。
現代はそういうものですよね?
でも、I先生だけは違っていて、昔ながらの「娘さんだけに・・・」と。
もう永くないと分かりきっている母に、本当の事を伝える気にはなれませんでしたので、助かりました。
なぜこんなに悪いのか分からないみたい・・・それで良い。

そういえば、14日から息を引き取る23日までの間に、1日だけ主治医が母の前に現れました。
I先生が休みの日。19日だったかな。
最後の母と主治医の会話です。

 母:「エンシャア・リキッドを飲むようになったら下痢するんですよ。」
 主治医:「出ないよりは良いから。」

はぁ・・・
これが、主治医の最後。
申し訳ないですが、私は主治医に感謝していません。
感謝しません。


最後の一週間で分かりました。
この病院は、良い病院でした。
まず何より看護師さん達が素晴らしいのです。
母は、始めから最期まで、看護師さん達に助けられていたのです。
44歳で乳がんになった時から現在まで通い続けた馴染みの病院で、母は安心して旅立つ事が出来たと思います。

主治医が嫌いで、ずっと転院を希望して来ましたが、結局はこの病院で良かったと、この病院が母にとってベストだったんだと、今考えています。


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by roll1822 | 2017-09-01 22:27 | 膵臓がん

後悔


虚しいです。
毎日会社が終わると、駐車場までの帰り道、いつも母と電話していました。
もう話し相手が居ません。
母と同じ世代の方に目が行きます。
寂しいです。


大きな後悔があります。

7月26日、母がお腹の膨らみに違和感を覚えた時、もっと違う判断をすれば良かった。
M病院を信じたのが間違いだった。
M病院のT先生の言葉を信用し、何の行動にも移さなかった。
もし、腹水初期の段階で、原因究明まで出来ていれば、何かが変わっていたかもしれない。
一休みした私が誤りだった。

そして、もっと大きな後悔。
3年半前、TS-1+諸々の治療 で、母の腫瘍が小さくなった時、あの時もっと違う行動をすべきだった。
あの時の私は、標準治療以外を信じられなくて、2年半TS-1の効果を見守っていただけだった。
あの時、違う治療も選択していれば、今、何かが変わっていたのかもしれない。

悔しいです。
目標は5年生きさせる事でした。
あと1年残っていました。


そろそろ、ブログの止め時を考えています。
いつもコメントを下さる皆様、返信が出来ずに本当に申し訳ありません。
間違いなく元気を頂いております!


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by roll1822 | 2017-08-31 22:16 | 膵臓がん

母のお通夜で驚いたこと


母が他界してから、今日で一週間です。
早いなぁ。。。
本当に早い。。。
先週の今頃は、まだ母の手を握ってたっけ?
母の背中をさすってたっけ?


私は、未だものすごい疲労感です。
今週月曜から仕事復帰したものの、まだ体がフワフワしています。
人としゃべりながらも寝てしまいそうです。


そういえば、お通夜の日に驚いたこと。

23日は当然、24日も寝られず、それでも夜は子どもを寝かせる為に自宅に戻って来ました。
12時には実家に戻るつもりで、子どもを寝かせながら1時間程度ウトウト。
夫と交換しに、実家に戻ると・・・

母の隣で、ちゃっかり並んで寝ている父!

そんな事がありますか!?
二人並んで寝ているんですよ。
しかも、父はしっかり爆睡。
疲れていたんですね、昨晩は全く寝れませんでしたから。

二人並んで、お線香の前に。


  父:「もう寝らんねがらな・・・」


そうだね。
でも、みんな居るのに、よく堂々と熟睡出来るもんだな。


お父さん、ごめんね、と思います。
もう少し、お母さんを生きさせてあげたかったです。


お母さんの心残りは、お父さん。
最後に、お父さんに「ガッカリすんなな。」と言ったお母さん。
難しいお願いだよ。。。




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by roll1822 | 2017-08-30 22:00 | 膵臓がん

母の最期


たくさんのコメントを頂きありがとうございます。
26日に告別式が無事に終わり、昨日から会社に復帰しています。
ですが、疲労があまりにも激しく、ようやくブログを更新出来る気持ちになりました。


母の最期を綴ります。


23日は、18時半に病院で紹介状を受け取る約束をしていました。
24日に、緩和病棟を訪ねてみようと思っていたのです。
近くの病院に転院希望を出していました。
在宅医療とも悩みましたが、一番近い在宅医療の医師に、腹水を抜く事が出来ないと言われて、迷う余地なく転院を希望する事にしたのです。

当日は、夫が残業だった為、長男と次男を連れて、母の病院に向かっていました。

18時11分、病院から電話が来ました。
あと何分で着くのか?と。
母親の状態があまり良くない、話がしたいから、すぐに来て欲しい、と。


母は、個室に移っていました。

母は、私の顔を見て、
「さっき、ものすごく苦しかったんだぁ・・・」
と、苦しそうに言います。

すぐに、モルヒネを使ってもらうようにお願いしました。

母は、今直ぐ、父と兄を呼んで欲しいと言うのです。
モルヒネを使うのは初めてでしたから、私は、今日はきっと落ち着くだろう、と思い込んでいましたが、念のために二人を病院に呼びました。

  母:「まだ来ねのが?」

母は焦っていました。

  母:「薬はまだだが?」

すごくすごく苦しそうでした。


19時半頃、父と兄が病院に着きました。

母は、苦しそうに父に言いました。

  母:「ガッカリすんなな。家ば、守って行がんなねんだがらな・・・」

これが、母の最後のメッセージ。
母は、最期を分かっていたのです。

そこからは、あっという間でした。
苦しさが全く落ち着かないので、15分おきに、モルヒネの速度を早めてもらいました。

  roll:「どうしてこんなに効かないんですか?」

  看護師さん:「 体の変化に、モルヒネが追いつけないんですよ。」

母は、しっかり意識はあって、
「まだ苦しい?もっと早めてもらう?」
を私が聞くと、暫くは「うん」と答えてくれていました。

母はベッドの上で、苦しそうに何度も何度も姿勢を変えます。
膵臓がんの痛みは、苦しいとも痛いとも違う
”身の置き所のないような辛さ”
という表現を聞いた事がありました。
まさしくそんな感じでした。

左側を下に寝ると痛いので、いつも右側を下に寝ています。

きっと、肺にも水が回っていたのだと思います。
呼吸がとても苦しそうでした。
痛みよりも息苦しさの方が辛かったように見えました。

母は、多くの人を呼ぶ事を嫌がったので、最期は父、兄、私の3人だけ。
途中、伯母(母の実姉)だけは、病院に来てもらいました。
桃農家なので、朝が早いのですが。

21時過ぎ、母は伯母夫婦に、

  母:「もう帰れは。。。 
     roll達は、まだ居でけろよ。寂しくなっから。」

  roll:「あたりまえだ。ずっと居るよ。」

そして、

  母:「駐車券渡してけろ。」

これが、母の最後の言葉でした。

徐々に意識が朦朧としていき、わずかに開いている目は虚ろになっていきました。
それでも、頷く事は出来ました。

徐々に呼吸がゆっくりになって行きました。
最期に近づくと、目はしっかり閉じ、苦しそうな表情は全くありませんでした。

少しずつ少しずつ最期を迎えました。
きちんと最後まで、私は母の手を握る事が出来ましたし、兄と父と3人でしっかり看取る事が出来ました。

23日23時47分、とても穏やかに息を引き取りました。


23日、17時まで、母は元気に過ごしました。
父に、ガリガリくんが食べたいと言い、明日スプーンを持って来るようにお願いしていたそうです。

その後、急変したのですね。
14日に入院してから、1日1日悪くなって行きましたが、こんなに猛スピードを死を迎えるとは、誰も想像していませんでした。

しゃべれなくなるのは嫌だ、トイレに一人で行けないのは嫌だ、誰かに迷惑を掛けるのは嫌だ、そんな母の心の声がずっと聞こえていました。
母は、息を引き取る直前までしゃべれたし、排泄も自分で行えました(トイレまでは車椅子です)。

母らしい最期でした。
潔い最期でした。
そして、穏やかな穏やかな最期でした。




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by roll1822 | 2017-08-29 16:21 | 膵臓がん

2013年10月、母の膵臓癌が発覚。ステージⅣaですが、3年間元気に生きています。最新治療ナノナイフの経過を記録していきます。


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