ブログを始めたのは、ナノナイフ適応が決まったとき。
希望しかありませんでした。
ナノナイフの情報があまりに少なかった為に、私が情報を発信したいと思って、夫にこのブログを立ち上げてもらいました。
前向きなブログ、期待できる治療法、、、、でも一番気になるのは最後のページ。
私は、手術できないステージⅣでも、死でブログを閉じたくなかった。
治してみせる!少しでも永くブログを書いてみせる!って、ブログを始めたのだった。
後悔。
後悔していると以前ブログに書きました。
それは、今、母が死んでしまった結果論。。。
でも、この4年間、希望があった事に間違いはない・・・。
思うんです。
医者や治療を信じるとか信じないとか、そういう事ではないのです。
癌患者や癌患者の家族が信じて良いのは、自分自身だけです。
自分自身がどう思うか、どう選択するか、だと思うのです。
テレビや週刊誌で、高濃度ビタミンC注や樹状細胞など、様々な標準外治療がよくたたかれます。
癌が消える、って書いてあるのに!癌を治せる、って医者が言ったのに!って。
病院も治療法も選択するのは、結局自分自身でしかありません。
胡散臭くても信じたのは自分ですから、自分の選択に責任を持つべきだと思うのです。
母は、よく話していました。
ナノナイフで期待する結果は得られなかった。
でも、ナノナイフには希望があった。
あの時、M安先生と出会えて、希望を持てただけでも後悔はしていない。
憎い病院、憎たらしい医師達の事を話したらキリがありません。
でも、結局、それを選んだのは私ですから。
それを選んだ自分自身を責める事しかできないのです。
私は、4年前の今頃、今の自分が私だったら、また違った人生があったのかもしれないと思うのです。
ブログ村で得られる知識、感情、様々な方々との出会い。
私は、コメント欄は、とても良い場所だと思います。
生の声を聞き、それを信じるも信じないも、御自分で考える事です。
結局、ブログだって素性は分からないわけで、私が書いているナノナイフだって嘘かもしれないわけで。。。
私の母は、暗い待合室を明るい場所に変えました。
みんな話したいのです。情報共有したいのです。分かち合いたいのです。励ましあいたいのです。
母の告別式、母の癌友さん達が遠方からたくさん出席して下さいました。
ものすごく号泣して下さる方がいらっしゃいました。
母は、この方々に元気を頂き、そして元気を与えていたのです。
出会って短い時間でもすごく濃い仲間だったのです。
約4年間、希望がありました。
常に、母と手をつないで歩いていました。
時には引っ張り、時には引っ張られながら。
母は死んでしまいました。
でも、最後まで希望を捨てませんでした。
主治医に従い、抗がん剤治療のみを受けていたら、この希望に出会う事はありませんでした。
標準外治療にお金をかけて、最終的に約4年間で命は途絶えましたが、常に希望を持って先を見て生きられただけでも、標準外治療を否定することは出来ないのでないかと思うのです。
私の母は、3年10ヶ月、元気に生きました。
母の目標は、かっちゃんさんでした。
Y乙女病院で、看護師さんに「かっちゃん、って来てる?」と聞いた程です。
看護師さんもご存じでしたよ、かっちゃんさんの事。
希望を持つ、って大事な事だと思います。
明日があるというだけでも、実はすごい事なんだと思います。